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の中は景気悪いですけども・・・



赤鯱軍団がやばい!
残り2節を控え、首位鹿島と勝ち点2差の2位。


他力ではあるが、グランパスの2連勝が最低条件、
仮に鹿島が1勝1敗、あるいは2引き分けであれば逆転優勝!


・・・なわけや。


かつて、赤鯱軍団にこんな出来事があったやろうか?
この興奮は、1996.1.1.の天皇杯決勝以来かも知れへん。


いまやJ1は群雄割拠の時代、
チームプランニングを誤れば、勝てないようになっている。


かつての強豪、V東京ジュビロ磐田Fマリノスといったチームは、
今年存在感がなかった。


裏を返せば、どのチームにも優勝の可能性があるってこと。
野球もいっしょじゃねーか( `д´)



・・・と思われるかも知れへんけど、


チーム数が多く、ホームアンドアウェーの
たった2試合/チームしかないという意味で、
1試合1試合がスリリングなのだ。


負けてもまた明日あるわ♪・・・の意味合いというか重みが、野球のそれとは全然違う。


5年前の11月29日、
磐田、横浜、鹿島、市原の4チームに
優勝の可能性が残されていた出来事があった。


昨年は最終節、浦和が伏兵(・・・と言っていいのか)、
カズ・三浦カズ率いる横浜FCに足元をすくわれ
優勝を逃す出来事もあった。


もつれにもつれている。
そんな時代が続いているのである。
さぁスタジアムへ行こう♪

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その手の人に言わせれば、
“リアル”という本が売れてるみたいやね。


リアルはリアルでも、
車椅子のバスケを題材にしたリアルやない。
“28歳からのリアル”という本である。

28からの










一方で、巷では“ニューリッチ”なる新語が生まれている。


さらに補足情報として、
資産1億以上のいわゆる“おくまんちょうじゃは、
わが国日本に、83人に1人の割合で存在している。


このほど、取引先に勤めていた、
また、大学先輩でもある人が、『セカンドステージ』へ旅立った。


ここでいう意味の『セカンドステージ』とは、
まさに“ニューリッチ”、起業するのだそうだ。


表向きには、
『サラリーマン、飽きたヽ(´ー`)ノ 』
と仰っていたがww


別に驚く話やない気はする。
1/83人の確率ならば、
自分の周りにもいるかも知れへんしなぁ。


しかし無計画に、オレもニューリッチ目指そ♪
などと、思いつきで行動してうまくいくものでもない。


郷に入らば・・・とかいう、よくいう文言があるけど、
要は、これまでと同じ世界にいたのでは、何も変わらないのだ


いまの自分は、これまでの自分の人生の軌跡の集大成
であることを忘れてはならない。


いつも一緒にいる人が、新しい話をもってくるか?
待てればよいが、自分から新しい世界を切り開かねば・・・というわけだ。


何事にも“旬”はある。
しかしチャレンジする権利はいつでもある。


例えば、芸能界に入りたい、とか思っていても、
知人が、芸能界と精通し、紹介なり、推薦されるのを待つよりは、
自分から、事務所に応募でもなんでもやらんと!


ってわけや。


はて、これらの共通項は、なにか?


いまさら言うまでもないねんけど、
何があるか分からない世の中
なんやねぇ、やっぱり。。。


さて本題へ。
前項、前々項から続いている『悩み』とは?


前項のおさらいやけど、
“悩むことの最大のメリットは『考える』行動を享受できる”
ことであり、


『悩みなしに、幸せは訪れない』
などと、大きく出てみました。


高々、27年しか生きていない小僧が?です。
しかしいつまでも小僧、でおるわけにもいかへんからね。


さて、t@kは何が言いたかったのでしょうか?


本トピックも、これで完結せねば、
そろそろ書く気がなくなるかもしれへん(ノ∀`)


こんなトピックスでケーススタディしてみましょう。


とある、課長級を対象にした教育講習会にて―


不景気の折、教育で社外講習を受けに行く出張費の件で、
Q&Aのやりとり・・・



Q
『会社に出張を控えるように指示が出ていますが、
経費計上できるのでしょうか?』



A
『今のトヨタは教育(自己投資)にお金をかけなさ過ぎる!
身銭を切ってでも、教育とは受ける価値があるものであるべき、ではないでしょうか?』



と切り返す。


Aで発言しているのは、なんと1年目の新入社員
本配属されて間もない、たかが2ヶ月そこら。


ようやく職場になれ始めるだろう、
まだ右も左も分からない状況でのこの回答。


数多の上司相当の職位に値するの受講者へ、
動じずに“提言”する度量も大したもんやけど、


ハンパないのは、その当事者意識
常日頃から、“考えて”ないと成り立たない。


彼はいま、
“生きて”いる幸せを実感していることだろう。


さて上記のケース、あなたは、
どこに“生きて”いる幸せを見出すことができますか?


これまでの人生、
生きている意味を振り返ってみる・・・


これがある種、回答かも知れへん。


どう生きる?
なぜ働く?
それは幸せなのか?



よくある回答郡は概ね以下のとおり・・・


―社会貢献したいから
―地位がほしいから
―お金がほしいから
―刺激的でありたいから



最近まで、t@k自身も、
上記回答群が正解なんちゃうかなー、と思ててんけど。


しかしながら、
個人的には、どれも間違ってへん気がする。


でも、十分条件とちゃう気がする。
どっちかっちゅーと、必要条件なんちゃうかなー。


木に例えれば、幹ではなく、
枝葉の部分を考えているに過ぎへん・・・のかな、と。
つまり、視野がまだまだ狭い。


―社会貢献すれば、幸せか?
―地位が手に入れば、幸せか?
―お金持ちになれば、幸せか?
―刺激であれば、幸せか?



充実=幸せ、という前提に立つと、
あなたが『幸せ♪』と思う瞬間はなんだろうか?


彼氏・彼女ができた。
『よくやったな』、とほめられた。
『ありがとう』、と感謝された。
『オモローやな、自分!』と笑われた。



ここに共通するんは、自己完結ではなく、
『他人』が絡んでいることがポイント。


要は、ある種、人の『承認』行為がある。


『承認』っちゅーと、どうも事務的やから、
認め、認められるという方がえーかな。


分かりやすく言うと、きんぱっつぁん(金八先生)がよく言う、
『“人”と言う字はぁ~、支えあって・・・』


・・・に込められるべき本当の意味は、


経済的支援でも、
物理的支援でもなく、



“相互の認め合い”の中でしか人生の幸せはないねん、
人とのつながりは、大事なんやで!




・・・と言っている、と解釈してる。


つまり、


―社会貢献したいから
―地位がほしいから
―お金がほしいから
―刺激的でありたいから



・・・という目的の根底は、
承認行為を実行する、ということ。


しかし、これらひとつひとつの“要素”は、


人の満足度(どこまでやればいいか)によるけど、
容易に得られるもんやない。


悩む=考えることで、深堀され、
身となり骨となり、“ホンモノ”として蓄積され、
人間が成長する過程で得られるのだ。



先ほどのケーススタディで言えば、
『なんだこいつは!』と基幹職連中に思わせたことだろう。


少なくとも、ウチの部署のとある新任GMはそう言っていた。
『すごい新人がおるぞ!』、と。
ほら、そう言っている時点で、彼を認識してるやん。


以上をまとめると、


1.相互承認により、充実が確かなものになる
2.充実を得るためには、承認をえる要素でホンモノを手に入れる
3.そのためには、悩む(考える)ことが近道
4.悩みは成長を促してくれる



つまり、
『悩みなしに、幸せは訪れない』
というわけなんです。


そんなこっちゃで、
ここまでお付き合いしていただけた方有難うございました。


ぶっちゃけ個人的に、なんかこの理論だけ
この先ずっとやってけそうな気がしんねんけどww


まーそんに甘ないか(ノ∀`)


というわけで、


もやっとしたモンが払拭されて
めちゃめちゃ爽快やわ~(´д`*).


では、また☆


Ciao!!
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2008.11.27 | My Life | トラックバック(-) | コメント(-) |

もーすぐ12月やのに、
いまだにタオルケットで寝ているt@kです、どうも。


それでも風邪をひかないなんて、
バカもいいところなのかもしれません。


ときどきおなかが冷えて、
腹いたなる時がありますがww(アホすぎる)


実家に毛布取りにいかなアカンなー。。
すぐ取りにいける距離だけに、
送ってもらうんももったいないからほったらかしや。。


このほど大学の先輩、いや大先輩が
退職される運びとなり、


還暦祝いと称して、
『ちゃんちゃんこ』を着て麻雀をする、
というアホなイベントをやりました。

大会後









とある施設を確保、先輩を招待してやったんですけども、
参加者みんなちゃんちゃんこ着てんねん


異様な風景に『なにしてんねん!』
・・・と知らん人にツッコまれるたびにいちいち説明ww


その人は、まぁとにかく、いわゆる“遊び”が大好きで、
仕事中でこっちが必死でもお構いなくちょっかい掛けられんねんけども、


もちろんその人自身、仕事できはる人やし、
VP(副社長)と精通してたりご意見番というか


広い人脈を構成している人として、
ウチの部ではもの凄い存在感やったりします。
いわゆる組織を動かすようなキーパーソンというやつ。


ふつーなら、いくら大学の先輩とはいえど、
一緒におれば気を遣いすぎて恐縮してしまうような
人やねんけど、


その人を一番尊敬できるポイントとして、
“つき合い加減”が絶妙、ってことで、
そんな気が全然しないって感じなんですわ。


口は悪いし、毒もめちゃめちゃ吐くんですが、
毒舌に悪人なしというか、
それを笑いに変える能力があるというか、
芸能界でいえば、ピーコみたいなポジションの人なんちゃうかなー。


もはや鉄板コーナーの『ファッションチェック』にあるように、
人が傷つくであろう、絶妙なラインでキュートな方向に持っていくというか、


たとえば網タイツを履いているふくよかな女性に対して・・・
『あんた、漁師に捕まえられたクジラみたいね!』と言うか、
『あんた、ボンレスハムに見えるからやめときなさいよ!』と言うか、


所詮は人の感受性の問題やからどう捉えられるかは
どうしようもないねんけど、要は、があるんですよね。


本人曰く、『オレは敵も多いぞ』だそうですが、
『おまえは、いつまで学生気分でおるんだ?』


などと、社会人3年目にしていまだに説教されても
いやな気が全然しないというか。
(それはそれで問題)


文相ではうまく表現できひんけども、
それがまた先輩の“深い人格”を造り上げているんやと思います。


ちなみに、麻雀では“主役”を差し置いて
優勝してしまいました(^^)v     ←いらんな、コレ。

なぜかラーメン屋へ。











コスプレでラーメン屋に行く・・・
それも外で並んで待っている・・・


異様ですよね・・・
また学生とか言われて怒られるわwww
(誰や!企画したんは・・・)

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最近、仕事でちょっとした葛藤があります。
悩みといえば、悩みなんかなー。
どうでもえーっちゃ、どーでもえーかも知れへんけど。


また新たな試みで、
将来の技術とはなんぞや?的な、
シナリオを描くよーな仕事を任されてんねんけど


今度のシナリオは、5~10年後の中長期的なビジョンやなくて、
20年、30年先のこと考えろ的な話ですわ。


ただでさえ時間ないのに、t@kがおる部署よりも、
もうちょい川上の部署の仕事やろ!と思われることなんやけど、
やれというのでやってますわ。。。


んなわけで着手してるんやけど、
シナリオを描く以上、SWOT分析とかやるやん?


会社の経営者・・・つまり社長が考える『思い』と、
イマ(現状)を無視するわけにも行かへんやん?


将来どうなるかんて、誰にもわからへんけど、
少なくとも会社のビジョンコンセプトで・・・


・・・というか業界のコンセプト、
日本、世界でも共通ののコンセプトかも知れへんけど


騒ぎ始められている・・・


カーボンニュートラルだとか、
カーボンオフセットだとか、
低炭素社会だとか、
LCAが有利な開発だとか、
商品にCO2排出量を記載する試みとか、


要は、CO2(炭素)は悪なのだ、・・・的な方向へ進んでいる、
世の中の考え方にイマイチ府に落ちてない自分がいます。


だけどもだけど、


会社がそういうビジョンを持ってるからトップダウン的に
『炭素減らせ!』的な方向性に持っていこうとするから、


なんか仕事やる気せーへんなーって。
まず前提条件がよーわからんもん。


ほんまにCO2(炭素)が悪いんか?


自社もエコ替えとかゆーてますから、
人のこと言えませんけど、


最近見た日立のCMなんか、
『できるだけ素材を軽くしました、未来の地球のために』って・・・


これもCO2削減効果をうたったようなアピールやけども、
本質のところってむしろ・・・『限りある石油資源を節約してんねんで』


・・・にした方がえーのになーって思ってたり。


そういう弊社としても、
リーディングカンパニーのCSRというか、


石油に依存せん技術開発を目指している
と謳うべきであり、


行き着く先はCO2削減とかぶることはあっても、
その方が得策やないんかなー、と思うわけです。
どうせいつか無くなるんやし。


そんな仕事を取ってくる上司にゆーたけど、
うやむや(  ´д`)ァ.... まーあかんですわ


まぁそれは置いといて、
悩むとどうなるか?、について書きたいと思います。


前Entryのおさらいやけども、
“悩む”というのは、
ギモンに対して解が見つかっていない状況ということでした。


次にすることは、それを解決するために
“考える”こと。


つまり、結論として、
“悩むことの最大のメリットは『考える』行動を享受できる”こと…
そう思っています。


考えるって、解が出なければ出ないだけ、
疲弊し、困憊するのは当たり前のことで、


悩みのレベルによって、
“妥協に身を任せて”生きれることならえーかもしれへんけど、


結局は、人間が知的生命体である以上、
切っても切り離せないもんやと思います。


あなたが悩みに対して匙を投げたとき、
つまりあなたが考えることをやめたとき、


そこに、あぁ・・・あたし、いま生きている!
という実感はあるのでしょうか?


現代の世の中、広く高度化した技術により、
ある種、人類の“悩み”のいくつかは解消された・・・かに見えます。


たとえばICTにより、
遠く離れた、あるいは物理的制約でいつ何どきであれ
“悩まなくても”コンタクトできるようになり、


たとえば物流システムの発展より、
どこか遠く離れたところへ行けないことに“悩まなくても”
当地の名産を手にし、賞味できるようになり・・・


前者でいえばコミュニケーションの簡便化という喜びを享受し、
後者でいえば莫大な時間の節約という喜びを享受し、



ある種、できないことは何もねーんじゃねーか・・
などという錯覚を誘う時代にいます。


果たして、この現状で、本当に幸せなんやろか?


本Blogを訪れて閲覧いただく方にとって、
これが全てで幸せ♪って思ってほしくないことを望んでますけど、


なんでかゆーたら、
どこかボタンの掛け違えっちゅーか、


自殺者が年々増加していることが、
現状でOKではない、それを顕示してるんちゃうんかな?
と思っているからです。


幸せに充ち溢れていれば、
死を選択するはずがないねん。



つまり、高度化した技術の恩恵とは関係ない所に、
当人たちの“喜び”というものがある、そういうことなんちゃうかな。


ここで言いたいのは技術の恩恵を受け、
“一部だけの喜び”が『幸せの全て』ではなく、


時流に身を委ねて“悩むこと”をサボると、
幸せを構成する“ほかの要素”を見逃して、


生きている意味ってなんなの?・・・みたいな、
なにか味気ない人生になってしまう危険性があるということです。


かといって、苦労してがんばれ!その先になんかあるぞ!
って、精神論を主張しているわけでもありません。


つまり、再び結論へ回帰しますが、
“悩むことの最大のメリットは『考える』行動を享受できる”
に込められるべき意味とは、


『見えにくくなってしまっている幸せ』を含め、
幸せに充ち溢れるためには、考えること抜きにはあり得ない


換言すれば、この時代だからこそ、
『悩みなしに、幸せは訪れない』
ということかも知れません。


なるようになる、とか思ってノリで生きていけるような
よっぽどの強運の持ち主を除いては。


なぜ、そこまで“悩み”をなぜ推すのか。


まだまだ漠然としてますが、
長なってしもたんで、次項で具現化しますww


では、また。


Ciao!!

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同じ分野に後輩が2人入ってきました☆
8万人の会社規模でかなりの確立・・・。

あると思います。

TMC

2008.11.18 | My Life | トラックバック(-) | コメント(0) |

う一度会いたいよ~♪



最近立て続けに、幸せを築く友人が多いです。
なのに、その歌は無いやろ!(↑クリック)


・・・ってところやねんけど、


ある意味、遊び相手が減るということで、
センチな気分です。
ぶっちゃけ、誘いヅライですもん・・・やっぱり。


兎も角も、結婚というモンはえーもんですね。
昔に比べ、だんだん実感がわく年頃になってきてか、


“振り返る”と泣きそうになるんです。
イメージでいえば、『よかったねー』なんて、ゼクシィのCMのように。




そもそも、“その場では泣けない”ことが、
また・・・なんでやねん!って話なのですけど。


思いでついでに、冒頭の歌のtrack
“同じ世代の人”は懐かしくてしょうがないかもしれませんが、
このtrackを聞くと必ず思い出す出来事があります。



当時、部活でバスケットボールばっか追っかけていた少年は、
ある年のバレンタインの日―


みんなが見ている手前、
恥ずかしくて『イラネー(  `д´)ノ』などと“ド”ストレートな暴言を吐き、
乙女心を傷つけてしまう・・・最低な出来事があったのでした。


今戻れるならば、謝りたい。。。
という、青い日の思い出があったりします。


そして今―


その教訓が今日、
客観的に見ても・・・


とても活かしきれているような生き方はしてないと思っておりますが、
少しはこの『バカ』について、t@k自身は悩んだほうがよさそうやわ。


まぁ何が言いたいかっちゅーと、
音楽と思い出はリンクするもんがあって、


大学受験のときはあの歌はやってたなぁ~、とか
初めて海外行ったときは、ウォークマンでアレ聞いてた~、とか
色々思い出されますよね。。


いい思い出も、悪い思い出も、
音楽に乗せて振り返ると、楽しいかもしれません。



最後に、


新たな人生のステージに旅立った彼らへ・・・
永遠の幸せが続きますように・・・


(合掌)

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ことあるごとに、
『悩みなさそやねー、うらやましいわー』


などと、よく言われるこの人生ですが、
当たりまくってるもんやから言い返せるわけもなく。


それにしても、


そんにちゃらんぽらんなヤツに見えるのか、
老けてしもて悟りを開いてるようなヤツに見えるのかは・・・


自由だぁ~!!!!! ヽ(`Д´)/


って話やねんけど。


でもま、所詮は人の評価。
自分で考えてもよくわからへんわー。


というか、これまでの人生総じてそうやねんけど、
『考えたって仕方ない』ことにこだわらない性格であり、


割り切るところは割り切るというか、
おもいっきり『今』は『今』を楽しむように思考回路を仕向ける所以か、


度々そんなことを言われようが、
気にしたことは一度たりともありませんが。。。


ある意味、諦めがいいというか、
そんに執着が無いというか、
めんどくさがりというか、
そもそも、そんに困ることが無かったというか。


んなわけだけれども、
最近『悩む』ことの重要性がよーやく分かってきただけに、
『悩み』について書こうかと。


そもそも、“悩み”とは何だ?



t@k的解釈をひとことで言うと、
『五里霧中』とでも言うんやろか。


前提として、モノゴトの判断・決定の連続の上に、
人生というものがある。


逆説的に言うと、
人生とは、判断・決定の連続なのだ。


たとえば、“悩み”を5つ用意してみましょう。


1.朝起きて・・・
なに食べよかな?


2.朝ごはん食べて・・・
今日どこデート行こかな?


3.ふと空を見上げて・・・
なんでいま自分ここにおるんやろ?


4.交通事故に遭って・・・
なんでオレだけがこんな目に?


5.足動かなくなってしもたけど・・・
あいつ結婚してくれるかなぁ?



・・・とまぁ、4、5辺りは
かなりフィクション的なストーリーに仕立ててみましたけど、


生活に直接的に影響あること、関係ないことに関わらず、
俗に言う、Yes/Noで片付くもんから、
5W1Hでしかわからへんモンまであって、


何かをするためのアクションに対してのギモンから、
毎日の生活には、さして必要でもないギモンに対してまで、


何かしら判断し、決定して生きている、
人はそういうプロセスの中にいますよね。


せやから、“悩み”とは、ギモンに対して判断できない、
つまり、“決められない”からどうしよ!?((((;゚д゚))))
って、発生するもんやんねー。


では、なぜ“決められない”のか?


1の例はちょっとアレやから、
2の例で考えてみると・・・


あなたが、デートに行く場所を
決められないときはどんなときだろうか?


その土地の情報が無いとき?(何があるかが分からない)

相手の好みが分からないとき?(相手の好みが分からない)

独りよがりで嫌われたらどうしよう、
などと立ち止まってしまったとき?(相手との距離感が分からない)

そもそもデートって何するの?(経験が無くて分からない)



とまぁ、ざっと挙げてみたけども、
上記に共通するコトっていずれも・・・


“判断基準が無い”ってことやんね。
こうすれば上手くいく!ってゆー。


要求レベル、つまり本人がどんなデートにしよかな・・・
って目標達成レベルにももちろん依りますけども、


ひとつひとつの“判断基準”とは、


過去の経験から裏打ちされることやったり(経験則)、
知人から聞いた成功体験やったり(いわゆる口コミ)、
占い本にかいてあることやったり(オカルト)、



それってつまりなんのこと?ってゆーと、


『信じれるものがあるかどうか』
もっと言えば、“納得できることがあるかどうか”
なんちゃうかなー。


例えれば、宗教みたいなもんであり、
自分自身が教祖なのだ。


たとえ“マジな宗教”であろうと、信じるものがあるというのは、
色々な局面において強さがある。


日本で言えば、
日教組であろうが、天理教であろうが、創価学会であろうが、


国外で言えば、
キリストであろうが、イスラムであろうが、ヒンドゥーであろうが、


その世界の人たちは、神の教えで納得しているんやから、
判断基準があるということになり、


悩みに対しては強く、
“生活をする上で”強みがあるということになる。


世界的に見て、
また永い目で見て、


それが“人間にとって”いいか悪いか
別問題であり、議論の余地はあるけども、


ともかく外野から、『あの宗教ってやばいよね・・・』
なんて余計なお世話というわけだ。


例えば、3の例に見られるような、
ある意味、“自我への問いかけ”なんてもんは、


無宗教に近い、我々大多数の人間にとって、
解の無い・・・


つまり、どうしたら納得いく答えが導けるかどうか・・・
なんて、めちゃめちゃ疲れるやろうね。。。


言い換えれば、


あなたのコミュニティでの、あなたの役割ってなんなの?
あなたがいなくなると、どうなるの?誰か困るの?



って問われていることと同じなんやから。


まずは、
自分とまっすぐ向き合わなかんわ。


いやなところも、
目を背けたくなるようなやばいこともすべて、
等身大の自分を受け入れ、ある線をもって理解する。


“自我とは?”は、
“愛とは何か?”に双璧をなすであろう、
ある意味、人類の究極的な悩み事かも知れへんけど。


そんなこんなで・・・


悩むことの重要性とは?
悩むことで生まれるうれしさとは?



また次回書きます♪


では、また☆


Ciao!!

2008.11.05 | My Life | トラックバック(-) | コメント(0) |

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