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なんだか今日いけそうな気がするぅ~♪


さて、Part2はじめます。


その前に、終わってしまいましたねー
北京オリンピック。


ってか1ヶ月以上たってるやん(ノ∀`)


それはそうと、


世間一般的に言われている、頑張った!という、
なんとでも取れる曖昧な表現を、
『メダルを獲った』と定義するならば、


“頑張って”、飛躍した競技あり。
“頑張りが足りなくて”、そうやなかった競技あり。


そもそも競争である以上、メダル獲れた/獲れんかったゆーんは、
当然といえば当然の話やけどね。


ってか、オリンピックに出場するという時点で、
選手は誰もが、その国の代表枠を賭け、
さらに競技によっては予選を勝ち抜けてきた軌跡があり、


オリンピック、その瞬間に向けて壮絶なる日々のトレーニングを
積み重ねてきたことは間違いなく、


“頑張った”のか、“頑張りが足りなかった”のかとか・・・
そう、結果が何であれ称賛はすべきと思います。


・・・が、


国民は許しませんよね。満足しませんよね。
『北京はメダル0個でした』という結果には。


個人的にサッカーが好きなんで、
男子サッカーのこと書くと、


残念に満たんかったわ・・・(´д`)


なんでかゆーたら、
執念みたいなもんが感じられへんかったってことやねー。
あの3試合、何が何でもというか、
泥臭さみたいなもんはあったんやろか。


もとい、4年前、アテネ五輪予選UAEラウンド。
メディアの前では寡黙な山本監督、
その涙が地上波に乗って、ファンに届けたメッセージは大きかった。


田中達也の2ゴールによりUAEを撃破し、
以降の日本ラウンドへ弾みをつけることになる。


同試合は、11人のプレーヤー中7人が点滴を打ち、
ピッチに立っているのがやっとという状況、


二つのゴールは綺麗ではなかったけど、勝った。
その勝利こそ泥臭さを感じられずにいられますか?


そもそも勝負事には、
『勝てばえーねん』ってアウトプット至上主義か、
『そこに美学があるか』ってプロセス至上主義か、
って②タイプあるとすると・・・


・・・って脱線しすぎるからやめ~た( ´д`)... ww

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ウダウダ・・・
結局Par1でなにが言いたかったん?
って話やわ。


屋久島と幻獣―


なんの脈絡もない、
2つのキーワードをなぜフォーカスしているのでしょうか?


屋久島に幻獣がおるん?
ってか幻獣ってなに?
ツチノコのことなん?



・・・いやいやいや、ちゃいますわ。


ムベンベを追え









出会った人は、この本の登場人物―。


この本の内容をひと言であらわすと、
ノンフィクションアドベンチャーとでもいうのだろうか。


当時、そもそも、実在するかどうかも分からへんような、
というか、ほぼ実在せんのちゃうか?っていう、
ネッシーみたいな怪獣?(幻獣?)みないなもんを、



わざわざ、当時国交の無いコンゴまで、1からフランス語を勉強して、
情報収集として探検記と称される論文(もちろんフランス語)をかき集め、
マラリア出血熱だとか、肝炎だとかのリスクをかえりみず、
チンパンジーだとかゴリラを狩り、それらを食しながら、
ジャングルのほとりに約40日滞在するという・・・。


著書には如実にその模様が日記調で描かれてんねんけど、
探検自体、からだは弱り、気は滅入ることも容易に想像がつく。


“探検”なんて来なければ、こんなつらいめにあわなくて済んだのに・・・
ふと、そう思うこともあったかも知れへん。


なのに彼らはなぜ“探検”に行ったのか。
そこにはそこでなければ得られない何かが待っている・・・と信じていたからだ。


行動力が半端無いのは言うまでも無いけど、
その信念がすばらしく、


その人は気持ちいいほど、
自分の思いにまっすぐな人やってん。


で、この本の内容をわざわざダブらせている意図は、


今回の旅行を通じ、
目的地に着く、というのはどうでもよい。
ということが分かったんやねー。


もちろん、今回は目的地についていないわけではない。
ちゃんと行ってるし、証拠もある。


でもねぇ・・・






あらかじめお断りやけど、t@k的解釈として、
『旅行=非日常を求めること』である。


距離だけ、ではない。


上記の探検記での結論としては、
彼らが幻獣を見つけることはなかったんやけど、


それ以上のモノを着実に得ていることが、
『あとがき』からよく分かる。


前Entryにも書いてんけど、
物質的に豊かであるが故(お金をさえ払えば、という意味を含め)
歳をとったから、という意味もあるかも知れへんけど、


パンフ見て想像したり、
インターネットで調べてみて想像したり、
これまでの経験によって想像したり、


ITによる情報のグローバリゼーションの負の部分というか、
いわば“想定できる範囲の世界に飛び込む”ことって
旅行=少なくとも非日常を求めている、という前提に矛盾してへん?


・・・といういこと。


極端な話、たとえば友だちから・・・
『なんや、千日前の商店街に、めっちゃオモローなおっさんがおんねん、
一回見てみ、ほんますごいで!ギネス級やわ!』




って言われた情報だけを頼りに、
千日前(大阪)まで行ってみる方がどんだけ意味のあることか!


タイムリーなことに、
この前の休日、キャニオニングなるものをしに出かけてん。
目的は、もちろんキャニオニング。


実際は、台風の影響で川が増水のため中止
朝早くおきて、現場まで行ったのにも関わらず、だ。


でも・・・


んだよ、早く言えよヴォケ!( ゚д゚)
って、 文句垂れるほど、その道程が無駄やったか?というと、


案外そうでもなかってん。
強がりや!とか、そういうんやなくて。ほんまに。


当初の目的は達成できへんかったけども、
初対面の人を2人を含めたその道程と、


中止にならなかったら、
行かれへんかったであろう、場所へ行き、


貴重な経験を手に入れ、
共有できたことは今後無いであろう事実でほぼ間違いなさそうやし、


これまた何かというと、落石に遭う、という、
平地に住むt@kにとっては、
落石など、あら、どちらの国のお話かしら?というくらい
他人事なもんなんやけど、


被災する人は、
「あぁ、こんな気分なんやろな」ということを思い知ったのだ。


無論、そんなことは、
どうでもいいかも知れへん。


いやしかし、このエピソードを含め、
結局言いたいことはとゆーと・・・


“旅行で自分を何に出会わせることができるか”



この考え方大事なんちゃうかなー、って。


それは、当初の目的と違うこと、
つまり目的変更があったとしても、無かったとしても。


ただ、予め言っておきたいのは、


高々1週間やそこらに詰め込んでヨーロッパを周る、やったり、
北海道を4日で周遊してみる、やったり、


ただ行くことだけが目的、
目的地至上主義ってあかんよねー、といっている訳ではない。


だからと言って、
写真を撮りまくって『行ってきた記念』に終始するのもさびしい。


最終的にはバランスなんやと思うけど、行った後に、
『今回得たものは何やったのか』


ということを振り返ってみること、
この実践を是非、お勧めしたいと思う。


さて、あなたは今年の夏休み、
どこに出かけ、何を得たのでしょうか?


聞かせてください♪
では、また。


Ciao!!
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2008.10.10 | My Life | トラックバック(-) | コメント(0) |












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