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う一度会いたいよ~♪



最近立て続けに、幸せを築く友人が多いです。
なのに、その歌は無いやろ!(↑クリック)


・・・ってところやねんけど、


ある意味、遊び相手が減るということで、
センチな気分です。
ぶっちゃけ、誘いヅライですもん・・・やっぱり。


兎も角も、結婚というモンはえーもんですね。
昔に比べ、だんだん実感がわく年頃になってきてか、


“振り返る”と泣きそうになるんです。
イメージでいえば、『よかったねー』なんて、ゼクシィのCMのように。




そもそも、“その場では泣けない”ことが、
また・・・なんでやねん!って話なのですけど。


思いでついでに、冒頭の歌のtrack
“同じ世代の人”は懐かしくてしょうがないかもしれませんが、
このtrackを聞くと必ず思い出す出来事があります。



当時、部活でバスケットボールばっか追っかけていた少年は、
ある年のバレンタインの日―


みんなが見ている手前、
恥ずかしくて『イラネー(  `д´)ノ』などと“ド”ストレートな暴言を吐き、
乙女心を傷つけてしまう・・・最低な出来事があったのでした。


今戻れるならば、謝りたい。。。
という、青い日の思い出があったりします。


そして今―


その教訓が今日、
客観的に見ても・・・


とても活かしきれているような生き方はしてないと思っておりますが、
少しはこの『バカ』について、t@k自身は悩んだほうがよさそうやわ。


まぁ何が言いたいかっちゅーと、
音楽と思い出はリンクするもんがあって、


大学受験のときはあの歌はやってたなぁ~、とか
初めて海外行ったときは、ウォークマンでアレ聞いてた~、とか
色々思い出されますよね。。


いい思い出も、悪い思い出も、
音楽に乗せて振り返ると、楽しいかもしれません。



最後に、


新たな人生のステージに旅立った彼らへ・・・
永遠の幸せが続きますように・・・


(合掌)

-----------------------------------------

ことあるごとに、
『悩みなさそやねー、うらやましいわー』


などと、よく言われるこの人生ですが、
当たりまくってるもんやから言い返せるわけもなく。


それにしても、


そんにちゃらんぽらんなヤツに見えるのか、
老けてしもて悟りを開いてるようなヤツに見えるのかは・・・


自由だぁ~!!!!! ヽ(`Д´)/


って話やねんけど。


でもま、所詮は人の評価。
自分で考えてもよくわからへんわー。


というか、これまでの人生総じてそうやねんけど、
『考えたって仕方ない』ことにこだわらない性格であり、


割り切るところは割り切るというか、
おもいっきり『今』は『今』を楽しむように思考回路を仕向ける所以か、


度々そんなことを言われようが、
気にしたことは一度たりともありませんが。。。


ある意味、諦めがいいというか、
そんに執着が無いというか、
めんどくさがりというか、
そもそも、そんに困ることが無かったというか。


んなわけだけれども、
最近『悩む』ことの重要性がよーやく分かってきただけに、
『悩み』について書こうかと。


そもそも、“悩み”とは何だ?



t@k的解釈をひとことで言うと、
『五里霧中』とでも言うんやろか。


前提として、モノゴトの判断・決定の連続の上に、
人生というものがある。


逆説的に言うと、
人生とは、判断・決定の連続なのだ。


たとえば、“悩み”を5つ用意してみましょう。


1.朝起きて・・・
なに食べよかな?


2.朝ごはん食べて・・・
今日どこデート行こかな?


3.ふと空を見上げて・・・
なんでいま自分ここにおるんやろ?


4.交通事故に遭って・・・
なんでオレだけがこんな目に?


5.足動かなくなってしもたけど・・・
あいつ結婚してくれるかなぁ?



・・・とまぁ、4、5辺りは
かなりフィクション的なストーリーに仕立ててみましたけど、


生活に直接的に影響あること、関係ないことに関わらず、
俗に言う、Yes/Noで片付くもんから、
5W1Hでしかわからへんモンまであって、


何かをするためのアクションに対してのギモンから、
毎日の生活には、さして必要でもないギモンに対してまで、


何かしら判断し、決定して生きている、
人はそういうプロセスの中にいますよね。


せやから、“悩み”とは、ギモンに対して判断できない、
つまり、“決められない”からどうしよ!?((((;゚д゚))))
って、発生するもんやんねー。


では、なぜ“決められない”のか?


1の例はちょっとアレやから、
2の例で考えてみると・・・


あなたが、デートに行く場所を
決められないときはどんなときだろうか?


その土地の情報が無いとき?(何があるかが分からない)

相手の好みが分からないとき?(相手の好みが分からない)

独りよがりで嫌われたらどうしよう、
などと立ち止まってしまったとき?(相手との距離感が分からない)

そもそもデートって何するの?(経験が無くて分からない)



とまぁ、ざっと挙げてみたけども、
上記に共通するコトっていずれも・・・


“判断基準が無い”ってことやんね。
こうすれば上手くいく!ってゆー。


要求レベル、つまり本人がどんなデートにしよかな・・・
って目標達成レベルにももちろん依りますけども、


ひとつひとつの“判断基準”とは、


過去の経験から裏打ちされることやったり(経験則)、
知人から聞いた成功体験やったり(いわゆる口コミ)、
占い本にかいてあることやったり(オカルト)、



それってつまりなんのこと?ってゆーと、


『信じれるものがあるかどうか』
もっと言えば、“納得できることがあるかどうか”
なんちゃうかなー。


例えれば、宗教みたいなもんであり、
自分自身が教祖なのだ。


たとえ“マジな宗教”であろうと、信じるものがあるというのは、
色々な局面において強さがある。


日本で言えば、
日教組であろうが、天理教であろうが、創価学会であろうが、


国外で言えば、
キリストであろうが、イスラムであろうが、ヒンドゥーであろうが、


その世界の人たちは、神の教えで納得しているんやから、
判断基準があるということになり、


悩みに対しては強く、
“生活をする上で”強みがあるということになる。


世界的に見て、
また永い目で見て、


それが“人間にとって”いいか悪いか
別問題であり、議論の余地はあるけども、


ともかく外野から、『あの宗教ってやばいよね・・・』
なんて余計なお世話というわけだ。


例えば、3の例に見られるような、
ある意味、“自我への問いかけ”なんてもんは、


無宗教に近い、我々大多数の人間にとって、
解の無い・・・


つまり、どうしたら納得いく答えが導けるかどうか・・・
なんて、めちゃめちゃ疲れるやろうね。。。


言い換えれば、


あなたのコミュニティでの、あなたの役割ってなんなの?
あなたがいなくなると、どうなるの?誰か困るの?



って問われていることと同じなんやから。


まずは、
自分とまっすぐ向き合わなかんわ。


いやなところも、
目を背けたくなるようなやばいこともすべて、
等身大の自分を受け入れ、ある線をもって理解する。


“自我とは?”は、
“愛とは何か?”に双璧をなすであろう、
ある意味、人類の究極的な悩み事かも知れへんけど。


そんなこんなで・・・


悩むことの重要性とは?
悩むことで生まれるうれしさとは?



また次回書きます♪


では、また☆


Ciao!!
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2008.11.05 | My Life | トラックバック(-) | コメント(0) |












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